実行・停止といった判断が確定する前段階で、関与の可否を検討し、結果として深い関与に至らなかった過程を整理するための記録です。
相談の前提(事実)
2025年10月、複数の飲食店や不動産事業などを一代で拡大してきた経営者から、市内にある中古物件の再生について相談を受けた。
物件は市内ではあるが、いわゆる繁華な飲食エリアからは外れており、偶発的な来店よりも、目的を持って訪れる設計が求められる立地だった。
構想としては、物販や飲食を組み合わせた複合的な施設を想定しており、相談の中では「県外からの集客も視野に入れたい」という言葉も出ていた。
検討初期に整理していた前提
私はこの相談を、単なる店舗計画ではなく、事業の構造そのものをどう設計するかという視点で捉えていた。
検討初期に整理していた前提は、以下の通りである。
- 建物全体に一貫した軸があること
- 昼と夜、1階と2階が分断された別事業にならないこと
- 運営が特定の設定や人物に過度に依存しないこと
- 想定する期間に応じて、責任の持ち方が設計されていること
県外から人を呼ぶのであれば、「なぜそこを訪れるのか」が説明できなければならないと考えていた。
検討の中で示された方向性
打ち合わせを重ねる中で、オーナーからは、演出性や物語性を強く打ち出した構想が示された。
これまで、独創的なアイデアと話題性によって数多くの店を立ち上げてきた経歴を考えれば、その発想自体は特異なものではない。
ただ、その時点で、施設全体としての前提が一つに揃っていないという印象を持った。
違和感の正体
違和感は、アイデアの好みや演出の是非ではない。
何を目的に来た人に、何を体験してもらい、何を持ち帰ってもらう場所なのか。
この流れが、事業構造として一本につながっていなかった。
具体的には、
- 空間ごとに意味づけが分断されること
- 来店動機が複数に割れてしまうこと
- 運営が特定の設定や役割に依存する構造になること
特に、この事業をどの期間、どの前提で担うのかが共有されていない点が、判断を進める上での引っかかりだった。
明確になった前提の違い
話を整理していく中で、論点はアイデアの可否ではなく、事業に求めている時間軸の違いにあると整理した。
私は、事業をあらかじめ想定した期間(長期)と責任範囲の中で設計しようとしていた。
しかし、会話の中でオーナーが口にしていたのは、
命を燃やせるかどうか。
面白いかどうか。
自分がワクワクできるかどうか。
オーナーは、事業を、
自身の人生の中で挑戦する行為。
人生を楽しく生きるための行為そのもの。
として捉えていた。
どちらが正しいという話ではない。ただ、この前提が揃っていない以上、同じ判断を背負うことはできないと判断した。
判断を伝えた局面
検討の区切りとして、私はオーナーに対し、今回の構想については深く関与できないという判断を伝えた。
その際、構想そのものを否定する意図はないこと、判断の前提となる時間軸が揃っていないことを説明した。
オーナーからは、「また改めて時間を作ろう」という返答があった。
このやり取りをもって、本件についての検討はいったん区切られている。
採らなかった選択
この相談において、以下の選択は採らなかった。
- 前提が揃っていない状態のまま関与を続けること
- 判断権が不明確な状態で実行段階に進むこと
- 納得しきれない構想を形だけ前に進めること
関与する以上、想定する期間と責任を引き受けられる状態でなければ意味がないと考えている。
事業には複数の前提がある
この相談を通じて、オーナーが事業に求めているものは、生活のための手段というよりも、自身の人生の中で挑戦する行為であることが確認できた。
話題に上がっていたのは、
採算や効率よりも、自分が面白いと思えるかどうか
長く続くかよりも、本気で向き合えるかどうか
といった観点だった。
この前提に立てば、「残す」「託す」という発想を前提としない事業観も、特異なものではない。
事業には、長期的な継続を前提とした形だけでなく、一定期間、人生の時間を注ぎ込むことを前提とした形も存在する。
どちらが正しいという話ではない。重要なのは、どの時間軸で進むのかが、最初に共有されているかどうかだ。
今回の相談では、その前提が揃わないまま検討が進んでいた。
だから私は、構想の是非ではなく、前提が揃っていない状態で関与することを選ばなかった。
記録として残す理由
この相談は、事業を進めるか止めるかという判断には至っていない。
そのため、WMKの「判断の記録」には該当しない。
ただし、判断に至る前段階で、どこに境界線があったのかを整理することには意味があると考え、この形で記録として残すことにした。